紅茶の国的トルコな生活。

紅茶の国の800年くらい歴史ある大学で1年間訪問研究者として生活してます。日本での勤務先はとんこつラーメンの国にあり、トルコなことやってる教育研究職なヒトのブログ。

  • ということで、8月6日は、ヒロシマに原爆が投下されて60年。こちらのブログ(池上英洋の第弐研究室)を読んで、 「♪熱い光の中で 僕は一枚の絵になった」で始まる「消えた8月」という合唱曲(中学校のときに歌った)の内容を思い出しました。*1
  • ここに掲げた写真を見てください。中央に原爆ドームがあります。その川向いが、私が育った本川町です。ここに映っている景色の中に、骨組みがかろうじて残っている建物がわずかにある以外は、何もありません。建物もすべて吹き飛ばされ、焼け落ちて消えたということは、そこに住んでいた人もやはり消えてしまっているのです。
  • 母の友人に、原爆ドームとなった建物に勤めていた人がいました。毎日出勤していて、たまたま8月6日の朝だけ所用で出勤しなかったために生き残ったと言っていました。彼女の同僚はそのほとんどが、文字通り消えてしまったそうです。
  • ある知人の父親には、右耳がありませんでした。その朝、いつものように早めに出勤した彼は、同僚と並んで座っていたそうです。一瞬の閃光であたりは真っ白になり、気がついた瞬間には倒れた壁の間にいたそうです。座っていた場所の後ろに窓があり、そこから差し込んだ熱線で彼の右耳は失われましたが、それ以外は陰になっていたので助かったのです。しかし、隣に座っていた同僚は影も形も残っていなかったそうです


http://blog.livedoor.jp/ikedesu/

  • 核兵器については、いろいろな意見を持つ人はいるだろうけれど、犠牲なったのがヒロシマの人たちだったからというのではなく、こういう恐ろしい武器を持たない・使わないことが大事なことだと思います。周辺諸国との関係やテロリズムの横行など先行きに不安感がつよまってる今みたいな時代は。

*1:消えた八月。音が出るので注意