紅茶の国的トルコな生活。

紅茶の国の800年くらい歴史ある大学で1年間訪問研究者として生活してます。日本での勤務先はとんこつラーメンの国にあり、トルコなことやってる教育研究職なヒトのブログ。

「生きていく」っていうのは、「可能性を選ぶ」のと同時に「選んだ以外の道を捨てる」ことでもあるのです。今から考えたらバカバカしい話なんだけど、大学に入ったときには、僕は自分がもっと「すごい人間」だと、漠然と信じてた。ノーベル賞まではとれないかもしれないけど、教授くらいにはなっちゃったりするんじゃないか、とかね。
実際に仕事をやってみると、自分にはそういう勤勉さもないし、向き不向きはさておき、少なくとも「仕事よりも本を読んだりゲームやネットで遊んだりするほうが好き」で、「自分を騙し騙し、理想像に向かって突き進めるほどタフじゃない」こともわかってきたのです。ただでさえ「優秀な人間」が集まってくるこの業界で頭角を顕せるほどの人間じゃなかったんですよ、結局のところ。「名門校」って地元でもてはやされて甲子園に出てきたら、1回戦でPL学園に当たって完膚なきまでに打ちのめされた田舎の代表校、という感じ。この世の中には「勉強が好き」「研究が楽しい」という嗜好を持った人たちが確かに存在していて、僕のように「好きじゃないけど生きるための手段としてある程度勤勉にこなせる」という程度の人間には、やっぱり越えられない壁(emphasis by author)があるのではないかと痛感しているのです。

  • この一年くらい毎日のように感じていることに近いと感じることが書かれてあって、ずしっときた。自分の居場所というか落ち着く先を見つけないといけないんだけど、それがまだよくわかってない。どうにかしないとなあ。