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「産む、産まないは女性の、あるいは家庭の自由だ」 - ねぎとろ丼日乗
- コメント欄に興味を引かれまして。
- ようは、コメントしてる人のこの指摘は、ををっとおもったり。そういう見方には気がついてなかったんで。
男性が女性にとって受精の道具にしかすぎない(ジョン・アービング「ガープの世界」では女が子どもほしさに男を襲う)場合もあることをお忘れなく。
- ただ、そのあとで、いつの間にかその「男性が女性の受精の道具だ」が正しいって前提だけで、意見が書かれてる(「産む、産まないの決定はやっぱり女性にある」といった発言など)ので、うむむ〜と。っていうか、これで終わると「女性はこどもを産む機械」発言と同じレベルになってしまうような。あの政治家の発言をきっかけにしてでてきてたことって、男と女どっちに選択の権利があるか、どっちが強い立場にあるかって議論でおわってはいけないよなあと思ってるからなんだけど。
- こういう議論って、人間の生物としての側面と、「社会的存在」としての側面をごっちゃにしてしまうところがあって、たとえば「種」「大地」って比ゆで表されるような「ヘテロ」が本質って点を前提になってるところもちょっと気持ち悪い*1。
*1:別にCarol Delaney(1990)にあてつけてるわけでもないですが。