紅茶の国的トルコな生活。

紅茶の国の800年くらい歴史ある大学で1年間訪問研究者として生活してます。日本での勤務先はとんこつラーメンの国にあり、トルコなことやってる教育研究職なヒトのブログ。

  • じっぽさん(id:fujipon)が活字中毒R。ジダンの頭突き事件について書かれているんだけど、非常に共感する内容。なるほど、ジダンが正しいか正しくないか、同情するかしないかって話でもいいんだけど、こういう風にも説明できるんだ。で、そういう見方することで、この事件をもっと身近なことに引き寄せることができるなあと。

僕が思うに、その「暴言」の内容というのは、マテラッツィにとっても、ジダンにとっても、そんなに珍しい内容ではなかったような気がするのです。いくらマテラッツィが「トラブルメーカー」だからって、「ワールドカップ決勝用の、特別に酷い悪口のネタ」なんていうのを仕込んでいたとは思えませんから。そして、そういう「暴言」を吐いてきたのは、マテラッツィだけではないはずです。しかしながら、あの場面での、あの内容の「暴言」は、ジダンの「逆鱗」に触れてしまったのです。それは、マテラッツィにとっても「予想外」(あるいは、「予想以上」)だったことでしょう。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060713

 あまりいろいろな「背景」を考えすぎると、最後には「沈黙」しか残らなくなってしまいます。ただ、あの「退場劇」は、「どちらが悪い」というよりは、「人と人というのは、お互いにあんなふうにすれ違って、たいして悪意もないのに傷つけあって生きているのだ」ということの一例であるような気がしてなりません。
 おそらく、彼らの人生には、ジダンマテラッツィの立場だったこともあれば、マテラッティジダンだったこともあったはずです。

 僕たちも、あるときはジダンであり、あるときはマテラッツィなのですよ、きっと。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060713