紅茶の国的トルコな生活。

紅茶の国の800年くらい歴史ある大学で1年間訪問研究者として生活してます。日本での勤務先はとんこつラーメンの国にあり、トルコなことやってる教育研究職なヒトのブログ。

  • 某所でのやりとりで「自信がないのは誰でも同じ。えいやっとそこから踏み出さないと。」とコメントをいただいたり。以下思ったことを忘れないようにするためのメモ書き。
    • 「自信のなさ」をみんなもってるとして、そこで差がでるのが「えいやっとそこから踏み出す」ことができるかどうかってところになるんだったら、どうやって「えいやっと踏み出す」思い切りがつくかを考えないといけないかなと。
    • 考える材料として自分の経歴を振り返ったときに、自分はずっと自信もてないまま生きてきたつもりなんだけど、第三者の視点で見たら、「えいやっと踏み出す」勇気が必要そうな結構大胆なこともしてるような気もする。で、そのときどんな気持ちだったのかといえば、なんつうか「それをしないことにはどうしようもないからしないといけない」って義務感みたいなもの。そういう心境になって初めて自信のあるなしにかかわらず行動できる気がする。逆に、「できたらいいなあ」って思ってるだけときには絶対行動できてない…。つうことは、自分の場合、「できたらいいなあ…」からはじまって「やんないとダメ」って段階に進んでいく思考回路ができている。
    • で、自分に自信が持てなくてなかなか重い腰を上げられないことと、「出来たらいいな」から「やんないとダメ」までの「小田原評定」期間の長さとは関係がある気がする。「小田原評定」してる間にタイミング逃してしまって、結局「自信のもてない自分」ってイメージを増幅させてきた気がするので。
    • 自分にとっては、「自分に自信がもてない」ってのはここ最近特に大きくのしかかっている問題で、どうやったら自分に自信持てるかな?ってこと考えることが多かったんだけど、やっぱり具体的な解決策ないまま。「自信がもてない」といったときに、自分の場合は石橋をたたくっていうかとにかくまず考えてしまうってダメって思っちゃうことがある。あとさき考えず単に「いてまえ」では進めない。そんな自分に「考え(すぎ)ないでいけいけゴーゴー」って言うのは最初から無理な話だったわけで。
    • でも、自分が動くことができるかどうかって視点で考えると、「やんないとダメ」って自分がいつ思えるようになるかって話になる。やんないとダメかどうかは、自分にとってそれがどのくらい大事かってことを判断するって次元の話なので、自分みたいに石橋たたきすぎて壊しちゃう人間には、もうちょっと冷静に考えやすいし、生産的かな。
    • 「やんないとダメ」までくれば、自分にとっては、あとは「自信」というよりも「責任感」の問題。自分でいうのもなんだけど、わりと責任感は強いほうだから動けちゃうんだと思う。
    • あともうひとつ。逆にいえば、自分の場合「できたらいいなあ」レベルで終わっちゃうことは、とりあえず「やらなきゃ」って思えるまで考えなくていいってこと。どうせやらなくて、それで自信なくすから。