紅茶の国的トルコな生活。

紅茶の国の800年くらい歴史ある大学で1年間訪問研究者として生活してます。日本での勤務先はとんこつラーメンの国にあり、トルコなことやってる教育研究職なヒトのブログ。

  • reflexivityみたいなものについての独り言。
    • あるトピックについて、「西洋」的な考え方と「日本」的なそれでは、アプローチがまったく違うということはあるだろう。具体的には挙げないし、それをもって「日本」と「西洋」ではまったく違うみたいな話をしたいわけでもないどころか、あまりそういう話にもっていくことには意義を感じない。しかし、こういうことも無視できないといえばいいのか。「日本人」であるという背景が、ある現象に対する僕の見方にも大きく影響を与えているっていってみたときに、少なくともその可能性はあるように思える。けれどその一方で、今みている現象から「西洋」的な考え方を土台にしたある概念の特異性を指摘するようなことになったとして(それができれば満足だけど)、その特異性に気がついた発端は、僕が背負っている「日本」的な背景からきたんだといえるのかといえば、本当のところどうなのかわからなくなる。それくらい、特に今やってることに関して、自分の中では「日本的な」何か背景が、どれくらい自分のものの見方を大きく決めているのか、よくわからないとこがあったりする。
    • あと、こういうことを「西洋」な背景の人に言われると、逆に「あなたは「われわれ」とは違います」といわれているような気分になる。たしかに僕とあなたでは見かけから考え方までいろいろ違うだろうけど。どこからどこまでがどの程度どのように「違う」んだろ…。
      • なんてことを書いてしまうくらい、いままでreflexiveでなかったことに気がついたのは、この期に及んでって話もあるけど、悪いことではないはず。でもどうしよ。